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COLUMN

【連載】橘めいの『いつだってファイティングポーズ』
第18回 『日本人はもうセックスしなくなるのかもしれない』があたしはする


著述家の湯山玲子さんとAV監督の二村ヒトシさんの話題の新刊、
『日本人はもうセックスしなくなるのかもしれない』を読んだ。
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ちょうどあたしが性欲減退について考えを巡らせている時だったので、
セックス強者である50代の2人がセックスについて何を語っているのか、
果たしてあたしたちが加齢していく先にあるセックスは「希望」なのか「絶望」なのか、
それとも希望でも絶望でもなくて、ただ緩やかに変化を受け入れていくべきなのか、
ものすごく興味深く読ませてもらった。

この本は、「セックスはいいものだよ」とか「もっとセックスしよう!」
といった類の啓蒙書では決してない。
今日本人のセックスってどうなってるんだ、これからどうなっていくんだってことを
50代の2人が鼻息荒く真剣に語っていて、
若い世代から著者の2人と同年代の人にまで幅広く、
「性」と「男と女」についての教科書になり得る本だと思った。

もしあなたがセックスに対して何かしら違和感を持っていたり、
セックスを介した男と女の取り引きじみたものに辟易しているのなら特に読むべきで、
自分とセックスとの関係性を考える手助けになってくれる本のように思う。

2人の留まることを知らない好奇心によって、対談はセックスそのもののことだけではなく、ジェンダー論、はたまた母親や父親との関係といった家族論、そして男のドライオーガズム(これ、男のファルス主義に一石を投じるもので、支配―被支配ではないセックスの未来として実は意外と重要かも!?)にまで及ぶ。

というか、セックスを語るということはそもそも、自分を語ること、他人を語ること、
そして自分と他者との関係性を語ることに他ならないのかもしれない。

なぜなら、セックスは人を丸裸にする。
自分が自分自身を、そして自分の体をどう思っているか、
自分が女であれば女のことをどう思っているのか、また男をどう思っているのか、
男に(女に)どうしてほしいと、どうあってほしいと思っているのか、
そして何を『当たり前』と思っているのかが全部つまびらかになってしまう。

本書の冒頭で、肉体のコンプレックスと承認欲求について
非常にわかりやすく語られている箇所があってまさに慧眼なんだけど、
(特に二村さんのサブカルイベントの打ち上げでのサブカルジジイとその膝の上に座る女の話はおもしろかったな!マジで中年サブカル男滅びろ!)
かく言うあたしも、おっぱいコンプレックス(&ブスコンプレックス)のために、
男に「やりたい」と言われるだけで、「こんなあたしでもやりたいと言ってくれる男がいる!」
と思っていた時期が確かにあった・・・。

承認欲求を満たしたい女がいて、権力欲求を満たしたい男がいて、
ウィンウィンで勝手にセックスしてるのは別に構わないのだけど、
もうあたしにとってのセックスってそういうのじゃないな、となってきている。
(これは加齢も大いに関係していると思う。)

もはや、人のセックスはどうでもいい。

でもどうやら、そう思えない人の方が多いのかもしれない。

本書の中でも、「みんなセックスをわかった気になっちゃってるんじゃないか」と
若者のセックスへの諦観について書かれていたけれど、
確かに今の時代、AVやポルノ(二次元のものも含めて)が昔に比べて
アクセスのハードルが低くなり誰でも見られるようになってしまったために、
「セックスとはこういうものだ」と男も女もコンセンサスを取ってセックスしているような気もする。

あたし自身はAVを否定しないし、ファンタジーとして、娯楽としてあっていいと思うけれど、
それと、生身のセックスとはまったく違うものじゃないかな?と思っている。

というか、そこを同化してしまうと、しんどいと思うんだよね。

特にあたしみたいな、自分の肉体に対して自己肯定感の低い女は、
若くて美しい女(もちろんそうじゃないAVもたくさんあるのは知っているけれど)
と自分とを比べて、「あたし、こうじゃないから無理」「セックスなんてできない」
と思ってしまいがち。
でも、若い時からそんな風に思ってたら、
歳取って想像以上に醜い体になった時にどうするの?って話。

中学生の時に観た、伊丹十三の『スーパーの女』という映画で、
津川雅彦演じるスーパーの専務と、そのスーパーで働くことになった幼馴染の宮本信子が
セックスをするシーンがあった。
あの二人の年齢設定はいくつくらいだったのか、たぶん40代ってとこだと思うんだけど、
「これもうスポーツね」とか言いながら、全然エロくないセックスをするんだ。
ポルノグラフィでないセックスの描写を観たのはその時が初めてだったと思う。

あたしは、こういうセックスもあるんだ、と衝撃を受けた。

今思えば、素晴らしい体験をさせてもらったなあ。
だってあのセックスには、支配―被支配の関係も、男の暴力性も存在してなかったもの。
つくづく伊丹十三とはフェミニストであったのだと思う。

セックスとは他の誰かのものじゃない。
セックスとは「あたし」と「あなた」だけのもので、超個人的な経験なのである。

だからまずは男も女も「こうあるべき」というレッテルを外すところから始めてみるのがいいんじゃないかな?と、思うんだけど、どう?

あたしがセックスをまだ諦めたくないのは、自分も他人も諦めたくないから。
(ここで言うセックスとは挿入にあらず。)
なぜなら自分と、他人への興味が、まだまだ尽きないから。

というわけで、『日本人はもうセックスしなくなるのかもしれない』が、
あたしは、まだ、します。

みなさまもぜひ、ご一読を。

◆ライタープロフィール

橘めい
『Ladies Motivation Project』代表

(通称LMP=すべての女たちがそれぞれ自分自身の美しさを肯定し、ありのままの自分を謳歌し、生き生きと力強く楽しんで生きることを応援するプロジェクト。)

モチベーター/ライター/イベントプランナー

男と女、恋やセックス、女の自意識と加齢などについて日々考え続けている33歳。酒と映画と男をこよなく愛しています。パワースポットは歌舞伎町(二丁目含む)。一応、一児(6歳男子)の母。

BLOG /『ハレンチには程遠い』
X / @TachibanaMay